3.11から6年 復興のいま 宮城・石巻篇
※この記事では東日本大震災について取り扱っていて、被災にあった石巻の写真を載せていますのでご注意ください。
東北地方に行ってみたかった理由
大学生のころに友達が東北にボランティアに行っていて、それからずっと行ってみたかった東北。
YouTubeで東日本大震災のことを調べてみると、信じられないような映像がたくさん出てきて、画面越しに見る地震や津波ですら純粋に怖いと思った。
ただ、それでも画面越しにみる映像にはどこか遠さを感じてしまって、どうしてもリアルなものとして感じられなかった。
だから、東北に行って自分自身の目で、被災地の様子、復興の現状を見てみたいと思い、宮城は石巻と女川へ行ってきました。
みてきた景色
まず行ったのは石巻市にある復興まちづくり情報交流館(中央館)。
東日本大震災による石巻の被害状況だけでなく、石巻の歴史や復興後の将来像についても紹介がされていました。
ちなみにこの場所も2mほどの津波に襲われたとのこと。
写真のように、建物には津波の跡が残っていた。
そして、そこのスタッフの方にお勧めされていったのが、絆の駅 石巻NEWSee。
ここには、石巻日日新聞による号外の手書き壁新聞(実物)が展示されています。
津波の影響で機械が壊れ新聞を印刷できなくなっても、手書きで壁新聞を作成して掲示し、他の被災地の現状や配給の情報を届け、自分達の使命を全うしたその姿勢は素晴らしいと思いました。
そして次におすすめされたのが、日和山から石巻のまちなみを見ることと、門脇・南浜を実際に歩いてみること。
ここからは写真を中心に石巻の風景をご覧いただきます。
まだまだ工事が行われている。
高台になっている日和山からの景色。
震災当日はここに多くの人が避難していた。
激しく雪が降る中で、津波に飲まれ、火災で燃えていく家々をただ見つめることしかできなかった。
夕日に映えるこの坂も、あの日は避難してきた人の車で埋め尽くされていた。
奥に見えるのが日和大橋。
20mほどのこの橋を読み込まんばかりの津波が襲った。
日は変わって翌日朝に、旧北上川上流から海辺の門脇・南浜方面へ歩いてみました。
当時の写真では、ちょうどこの位置に船が道路に横たわっていました。
津波の威力を感じる。
かつては、家々が立ち並び町があった場所。
6.9mの津波がこの地区を襲った。
東日本大震災から学ぶべきこと
豪雨で被害に合った東峰村に行った友達が書いていたんだけど、ぼくらは自然とともに生きていることは肝に銘じておくべきだと思う。
自然とどう付き合うのか、都会の中で生きるぼくらは忘れがちだけど、大切なこと。
いつ自分が自然の脅威にされされるか分からない、だから自分が地震にあったら・・・という想定をして、準備をしておくべきだと思う。
もちろん、準備をしておけば必ず助かるというわけではないだろうけど、少しでも助かる確率を高めるために。
非常食や水はAmazonなどのインターネットで買うこともできるし、避難場所についても自治体ごとに情報がある。
石巻NEWSeeの館長さんに言われたんだ「君が震災に対して興味を持って、ここまで来てくれたのには必ず意味がある。この震災から教訓を得て、自分の身を自分で守ってほしい」って。
今準備していたら"そのとき"に後悔しなくて済むかもしれない、自分の身も、自分が大切にする人も守れるかもしれないんだ。
だから、どうか、 もしものときに対する備えを面倒でも、必ずやっておいてください。
少しずつ着実に
最後に、少しずつ復興が進んでいる石巻・女川の様子を。
右下の明るくなっているのが、いしのまき元気市場。
石巻の食をたのしめるよ、海鮮やっぱ美味しかった。
そして、ここからは女川。
震災で大きな被害を受けたにもかかわらず、すごいスピードで復興が進んでいる。
女川駅では温泉にも入ることができる、気持ちよかった〜。
有名な方々がいたり、
段ボールでランボルギーニ作ってたり、
段ボールの勢いで本物のランボルギーニ買ってたり、
やっぱり海の幸が美味しかったり、
石巻も、女川も、素敵なとこだった。